無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 南雲勝志 さんからのメッセージ   

将来のことを考えるときは5年単位で考えると解りやすい、と以前人生の先輩に言われた事がある。10年ではスパンが長すぎるし、2〜3年では近すぎる。5年がちょうどいいと。その頃20代だった僕は5年というのももずいぶん長いけどな〜と思ったものであった。今、ようやく5年単位で考えられるようになった気がする。(ただ歳をとったということかも)
さて、プチ自伝が流行っているのようなので、せっかくなので今までの自分の概略を5年単位でプチプチ紹介してみようと思う。

1987-1990
忘れもしない1987年、自分で独立して仕事をやることになった。独立というと格好良いけど、単に前の事務所のボスとケンカ別れしただけだったので、状況としては途方に暮れたといった方が正確である。この頃の辛さは話すのも、思い出すのも嫌なくらいだ。
ただ一つ言えることは希望だけはあった。「何とか家族と共に頑張って一人前のデザイナーになるんだ」 等という、今から思えば無謀とも言える、全く根拠のない自信だけはあったのである。しかし、そんな妄想だけで成立するはずもなく、その間の三年間の仕事は悲惨なものだった。

1990-1995
捨てる神あれば拾う神もあるという言葉があるように、人づて良い仕事に出会うことが出来た。一つはproject candy という魅力的な家具の仕事、もう一方は皇居周辺や門司港といった公共の、それもかなり良い現場の仕事をすることが出来た。人づても運であるが、そこから5年間、つまり1995年あたりにかけて、僕は人生始まって以来とにかく必死に仕事をした。多分この時期に経験したことは、その後の自分のデザインの元になる部分を形成したように思う。過ぎ去った後ろはだけはわかるけれど、未来に対しては横も前もまったく見えていなかった。でも今与えられた仕事をきちんとこなさなければ二度と良い仕事はないだろう、そんなプレッシャーの中でとにかく必死であった・・・

1995-2000
幸運なことに必死でやった5年間の仕事は一定の評価を得、その後の5年間の発展系へと進んで行くことが出来た。家具でいえばヨーロッパで展示会を開催したり、新しいデザインも次々とやっていった。国内でも一年に4〜5回程度展示会に参加した。中林鉄太郎さんと知り合ったのも、プチ自伝に青山玲さんが書いている、一緒に家具のデザインをやったのもこの頃だ。景観の仕事も日本全国アチコチへと巡業していくことになる。
仕事も付き合いも大きく拡大していった。今振り返ると多分この5年間は、あまり悩みもなく順風な時期だったかも知れない。

しかしその5年も後半になってくると、そろそろ次のステップを目指さなければ、と思いながら、次が良く見えなくなっていた時期でもあった。デザインで悩むことも、未来に対し自分のデザインに素直に自信が持てなくなることもしばしばあった。
だんだん展示会からも遠のいた。デザインのためのデザインや、デザイナーが中心の展示会とはほとんど関わらなくなる。マーケティング等というものが全く理解できなくなった。これから目指すデザインとは・・・ いったい?
そろそろ何か今までと違う事を始めなければ・・・そんな時期でもあった。

2000-2005
2000年の春、ある仕事と関わり始めた。それは宮崎県の日向市のまちづくりの仕事である。細かく書くと28,000万字くらいになるので省略するが、(今月末にプロジェクト本が出版されるので興味のある方はぜひ。) ここで今までにない出来事に出会い価値観が生まれる。
一つは杉という素材との出会い、もう一つは人との出会いだ。一般的にはデザイナーは与えられた条件の中でカタチを考え、それを具体化していくことが普通だ。ところが日向というところで、それをはるかに上回る経験をすることになる。同時に次への展望、そしてやらなければ行けない目標というものがうっすらと見えてきた。簡単にいうと、デザインするということはいかに社会にとって役に立つかということだ。ここでいう役に立つとは単に金銭的な利益より、より幸せな社会とか正常な社会にするためにどうするかということである。カタチをデザインするだけでは解決できない多くの命題に出会い、混乱し、迷い、時には突っ走り、感動するという一見不安定ながらも、ドキドキし、確実にこの路線は間違っていないという確信めいたものを感じるようになる。

2000年からの5年間は自分で仕事をするようになって一番変化があり、かつエキサイティングな時期であった。
とにかく動き出す必要がある、コトを起こす必要がある、そう考えて結成したのが、「日本全国スギダラケ倶楽部」である。このいきさつはまた長くなるので省略せざるを獲ないが、「月刊杉」というWEB雑誌の中に書いたことがあるので、興味のある方はこちらを参照してほしい。→(ナグモ少年の杉ものがたり )この「月刊杉」もまた、スギダラ(日本全国スギダラケ倶楽部の略、以下スギダラ)の精神を発進、啓蒙していくために創刊したものである。そしてそれらを一緒に行動したのが、今回の展示会でも一緒に参加する若杉浩一、千代田健一であったのだ。
この一見訳のわからない、しかしパワフルな集団は多くの人を巻き込みながら、次第に大きくなっていく。そして全国にネットワークと領域を超えた仲間を形成することになる。

2005-2010
2005年から現在はもっぱらこういった、新たな活動や仲間と行動する機会がめっきり増えた。若杉さんとよく話すのだが、そのひとつひとつの出来事は単なる偶然ではなく、必然だったのではと思い返すことが多い。偶然なようで、これはどう考えてもやらなければいけない必然であると。「日本全国ギンダラケ倶楽部(略してギンダラ)」の結成もそのひとつだ。名前からわかるようにスギダラに痛く感動してくれた栗元幸子さんが、アクセサリー業界、純銀粘土業界にスギダラ的な新しい息吹を・・・ということで結成した。どれだけの効果があったか定かではないが、結構緊張感があった。ひとつの領域、業界というものの枠を取り払ったとき、今までに見えなかったものが見えて来るのである。今回のJUN-GIN展もギンダラのベースがあるから可能になったのかも知れない。
これをスギダラ的にいうと「枠がないのにワクワクする。」となる。簡単にいうと枠をとるということは今までのやり方を否定することでもあるので、そこには混乱やリスクも伴う。ただし、それを差し引いても今までにない楽しさや良い意味の緊張感といったアドバンテージは残る。だったらやる価値あるだろう・・・という理論である。

そんな新しい価値観、実は新しいというよりも懐かしいという言葉がむしろあてはまるといってもよく、どちらかというと本来我々の持っていた文化や生業をもう一度見直し、現在の社会にどう対応していこうかという作業に他ならない。
新たな出会いが新しい出来事と感動を産み、感動がまた新しい仲間を繋いでいく。この単純で純粋な喜びを一度体験してしまうと、やめられない。昨年はその勢いで「日本全国ヤタイダラケ倶楽部(略してヤタダラ)」を結成するにいたる。多分2010年までの僕はスギダラから始まった一連の流れをもう少し、整理、確認しながら、その本質たる部分を検証し、発展して行こうとしているところである。
こんな事を書いていると、ハハ〜、ナグモは、仕事は諦めてそっちの方に向かったか、と思われるかも知れないが、これらの流れは、いま仕事をやっていく上で欠かすことの出来ない価値観であり、デザインの本質であることは間違いないと思っている。

JUN-GIN Collection 2009 展
さてさて、ようやくJUN-GIN展の話題にたどり着いた。本当はここからスタートするつもりだった。
いろんなものをデザインしたり、つくって来たりしたが、小さいものは実はどうも苦手なのだ。身も心もちまちまするような気がしてならない。いつも小さいことはあまり気にせず、おおらかに、気持ちよく、向かう方向だけは間違わなければ、あとは大概何とかなると思っているからだ。その上純銀粘土を使ったアクセサリーの製作となると、眼鏡をかけ、ほんとに細かいところまで加工しなければならない。一生懸命頑張って徹夜して、目が充血して、やっと出来上がったと思ったら、最後の最後にポロっと壊れてしまう。腹が立ってしょうがない。もう二度とやるものかと思ってしまう。(二度くらいしかやっていないが。)逆にいうとスタートや、興味のあるうちは良いのだが、面倒くさくなると途端に嫌になってしまうのだ。この辺が詰めが甘いといわれる所以でもある。
じゃあ、なんでJUN-GIN Collectionに参加しようと思ったのか? そう、正直言って今でも気が重い。未だに何をつくるか決まってないし、またあの制作の苦しみを味わうかと思うと、何とか時間の引き延ばし作戦しかないとさえ思ってしまう。

ではJUN-GIN Collectionの魅力と可能性とは? どこかに可能性を感じたことは間違いない。
さっきも書いたように、素材自体はおもしろく、無限の可能性がある。ところが出来てくるものがどうもおもしろいものが少ない。正確に言うともっと楽しく、しかも世のためになるような方法がきっと出来る筈だ! と端で何年か見ていて思った。じゃあ自分でやってみたら? ということに対し、ようしやってみるさ。という理由だ。
しかし一人では無理だ。ある程度多くの仲間が必要だ。アクセサリーというアイテムはひとりひとり感じ方や価値観が違う。少ない数で説得力を持つのは難しい。そう思っていると、なんだか次々に仲間が揃ってくるではないか。あっというまに50人だ。それもまさに領域の違ういろんな分野の人たちだ。もう断る理由がなくなってしまった。
いま、会期まで1ヶ月になろうとしている。はじめは、今回は参加者のひとりであればいいと思っていた。しかし苦痛とも思える打合せや、準備を重ねていくうちにそれが楽しさに変わろうとしている。
結果はわからない。ただ、プロセスのない成功はあり得ない。いま、このグループでそのプロセスから何が生まれるか、半分予想できて半分わからない。しかし、ここで出会った50余名の力がどんなカタチで展示会を迎え、何を発進出来るか、おおいに楽しみである。
いまの時代何をやっても驚かれない。その中で小さくとも充実感と、やったことの必然性を持てるよう、自分ながら少しずつ参加意識を高めようとしているところだ。そうなると危険なのが、実現することが大事だ、と開き直る危険性もありがちだが、やはり、最終のアウトプットがどういうものになるか。それによって評価がまったく違うものになることはわかっている。
そう、グループ展で一番大事なのはチームの力ではなく、個人の力の総合力だと思っている。そしてその個人の力は同時にチームの力で変化し、進化していく。そう自分にプレッシャーをかけ、納得しながらも、まだ緊張感のまっただ中に行けない状況というのが現状である。

さて皆さん、1ヶ月後、5月9日のパーティーで大いに語り、飲んで盛り上がりましょう! 
いまはそれだけが楽しみである。そしてそうなれるよう頑張っていこう!


南雲勝志 / ナグモデザイン事務所 代表
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by jun-gin | 2009-04-06 22:19 | 展示会に向けて

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